「どの花も綺麗だと思うけど、やっぱり桜が一番美しいと思うな」
卯月、アイツは咲き誇る満開の桜を愛しげに見上げながらそう言った。確かにあの時アイツと見た桜は綺麗だった。花の形もさることながら何より優しいあの淡い桃色が美しい。桜が美しいのはきっと穏やかな色をしているからだ。春の空気が心地良く感じるのも、何だか安心するのも。だけどこんなにも美しいと思うのは隣でアイツがいたからだと後から思う。アイツも言った。桜の色が好きなの、と。だって優しい色でしょう。そうだなと軽く返事をしながら俺は近くの枝に手を伸ばして、桜の花を一つ千切った。ダメだよ、そんなことしちゃ。桜が可哀想でしょと俺を叱るアイツの言葉を聞き流して、綺麗な髪にその綺麗で小さな花をそっと挿してやる。驚いたように俺を見上げた。お前に似合うよ、そう褒めてやればアイツは照れくさそうに微笑んだ。ありがとう、と。うん、やっぱりお前に良く似合う。その儚さと紙一重な優しい色はお前に一番よく似合う色だ
「緑ってよく見たらこんなに輝く色なのね」
皐月、アイツは鮮やかな緑を抱えきれないほど持つ木の下でそう言った。葉と葉の隙間から差し込んでくる光がいつになく柔らかくて心地よい。木を大きく包み込むその緑は寛大でアイツに似てる。俺がそう思っていることも知らず、じっと見る俺の視線に気づいたのかアイツは何?と首を傾げて俺を覗き込むようにして微笑む。ほら、やっぱり。俺の心だって葉に光が当たったみたいにキラキラと輝くような、そんな気がした。何でもねェよ、そう俺がそう言えば、何それとクスクスと笑う。アイツの笑う声は何だかくすぐったい。そう思ってたら、何笑ってるの?とアイツが尋ねてくる。無意識のうちに口元が緩んでいたのか、これはもう重症だな。別にと答えれば、何故か『大好きだよ』といきなり返してくる突拍子なアイツが俺も好きだった。大好きだった。どーも、と返せば、いーえと楽しそうに言うアイツがどうしようもなく
「雨は案外優しいんだね。知らなかったな」
水無月、アイツは傘も差さずに雨に濡れながらそう言った。傘を差している俺には分からなかったが、直接肌で感じてるアイツには雨が優しいものだと思えたのだろう。髪も服もずぶ濡れだというのに、アイツは嬉しそうに笑ってた。それから雨空を見上げ、そっと目を閉じる。その姿がすごく綺麗で思わず見惚れてしまった。顔を戻すのと同時にゆっくりと目を開いていくアイツをじっと見つめていたら、案の定目が合う。笑った。風邪引くから入れ、そう俺の傘に入るように言ったが、アイツは馬鹿だから風邪引かないよと聞かなかった。看病する俺の身にもなれ、と言い返せば返って来たのはあまりにも思いがけない言葉だった。銀時が看病してくれるなら風邪引くのも悪くないな。...馬鹿か、そう言えばまたアイツは笑った。雨の中で笑うアイツを見ていたら、傘を差していることが馬鹿みたいに思えて傘を閉じる。...あ、本当だ。全然痛くない。雨が優しいことを教えてくれたのはアイツだった
「ありきたりだけどやっぱり海って広いね」
文月、アイツは目の前に広がる海を見てそう言った。本当にありきたりだなと言えば、でもそうでしょうと返すのでそうだなとしか言いようがない。日光を乱反射する海は果てしなく空とは違った青が続いている。一言で言えば綺麗。詩人ならこの海をどう形容するだろうか。生憎詩人じゃないので洒落たことは言えないが、楽しそうにはしゃぐアイツの姿を見ればそんなことどうでも良くなった。バシャバシャと水音を立ててアイツが海に入っていくのを追う。丁度膝辺りまで来たところでいきなり振り向いて俺に水をかけてきた。口元を掠めた水はやはり海の水。しょっぱい。仕返しだ、と言わんばかりに俺も彼女に思いっきり水をかけた。何するの、と怒ったように言うけど顔を見ればアイツは楽しそうで。また俺に水をかけてくる。やったなこんにゃろう。天パが悪化したらどうすんだ。俺もかけ返す。アイツの周りに散る水の粒が煌いて見えた
「あー暑いな。太陽って毎日頑張りすぎだと思わない?」
葉月、アイツは照りつける太陽を恨めしげに目を細めて見ながらそう言った。周りを見渡しても影になるような場所はない。俺達のいる世界の一欠片は太陽の餌食だった。俺も先ほどから惜しみなく降り注ぐ日差しにうんざりしていたので、そうだなと同意する。暑い。無駄に暑い。どうしてこんなに暑くさせるのか、だんだん苛立ちが募ってきた俺は太陽なんか死んじまえと毒を吐き捨てると、アイツはそれはダメだよと言った。太陽がなきゃあたし達は死んじゃうじゃない、あたし達がこうして2人でいられるのも太陽が頑張ってくれるからなのよと笑った。心が落ち着いた気がした。でもそれと裏腹に俺の口から出た言葉はお前は太陽が鬱陶しくないのかという何とも乱暴なものだった。アイツは言う。鬱陶しくはないよ、ただ暑いだけ。同じだろ、と言えば、同じじゃないよ。何だそれと思ったが、アイツが銀時の髪は太陽の光を浴びるとキラキラして綺麗だねとアイツが言ったので、まあいっかと思った
「風を感じるってこういうことを言うんだね」
長月、アイツは夏の終わりの風が吹き抜ける丘の上でそう言った。アイツは髪を軽く押さえて、目を閉じて風を感じながら。俺は正直風なんかよりもアイツにばかり目がいく。特別美人なわけではないけれど、綺麗だと。銀時は何か聞こえる?俺の視線に気づいたのかアイツはそう俺に尋ねる。別に何も聞こえないけど、強いて言うのなら鳥の声だな。俺がそう答えて、お前は何か聞こえたのか?と尋ねる。アイツは答えた。秘密だよ。何だそれ。俺がそう軽く笑うと、銀時には教えてあげないと少し意地悪な顔をして言う。あっそ、と俺が軽く流せば...聞きたくないの?だと。何だ、聞いて欲しいのかよ。教えろよと言うと、えーどうしよっかなとアイツはもったいぶる。それからやっぱり内緒にしとくと言って、俺の腕に自分の腕を絡めた。何だよ急に、と言えばえへへと笑う。じゃあ俺も秘密にしておこう。俺の腕の横で笑うお前が可愛くて仕方がないことを
「今日は満月だね。すごく綺麗」
神無月、アイツは夜空に浮ぶ満月を見てそう言った。満ちた月はいつもより柔らかな光を放つ。穏やかで、それでいて自信に満ち溢れるような黄色がとても印象的だった。その眩しい色は暗い藍の夜空に映える。俺の隣で座っているアイツの横顔がいつもと違って見えた。月明かりのせいかもしれない。俺はそっとアイツの肩に腕を回し、自分の方へと引き寄せる。どうしたの?アイツは俺を見る。どうしたの、と言われても分からない。強いて言うのなら急にアイツにもっと近くにいて欲しいと思ったからだ。でもそんな恥ずかしいことは言えず、別にとだけ答えるとアイツは何だか嬉しそうに微笑んだ。寂しくなった?そう聞きながら俺の肩にもたれかかったアイツはおかしそうに言う。大丈夫だよ、あたしは銀時の傍にずっとずっといるからね。そう言葉にぐっと心の奥を掴まれる。アイツの言う通り、俺は寂しかったのかもしれねーな。でもお前がずっと隣にいてくれるのなら俺の中では満月が欠けることない
「本当、いい天気だね。空に雲が1つもないよ」
霜月、アイツは雲1つない晴れ渡った青い空の下でそう言った。少し肌寒くなってきたこの季節だが、この日は霜月だと感じさせないくらい暖かく穏やかで、果てしなく続く青で塗られた空は澄み渡っていて吸い込まれそうなくらい綺麗な『青空』だった。こんな日にお散歩って気持ちいいね、そう無邪気な笑顔を浮かべながらアイツは言う。でもこんなに楽しいのは銀時と一緒だからかな。アイツがそう言うもんだから思わず笑ってしまって、俺は馬鹿と言いながらアイツの頭をくしゃくしゃに撫でた。あーもう何するのよ、アイツは俺に乱された髪を直しながら口を尖らせる。しかしそれもちょっとの間だけですぐにへらりと笑った。ねえ、銀時。アイツが俺の名前を口にすると特別に聞こえるのは気のせいじゃない。今、幸せ?ああ、幸せだよ。お前と一緒にいるからな。俺にしては珍しく素直にそう言うとアイツはいきなり俺に飛びついてきた。そして言う。あたしもだよ。嬉しくなってアイツを抱きしめ返した
「わー綺麗。冬の星もいいもんだね」
師走、アイツは夜空に輝く無限の星を見上げながらそう言った。米粒くらいに見える小さな星から放たれる不釣合いな光が瞬き、ありきたりな表現かもしれないが夜空の宝石箱にたくさんの宝石がちりばめられているようだった。あたし、星座のことよく分からないな。分かるのはオリオン座くらい。そう言ってアイツは三ツ星を指差す。俺だって星座のことなんか知らねェよ。アイツは言う。まあ星座のことを分からなくてもただ綺麗だと分かればいいよね、と。そう優しく言うもんだから、俺もそうだなと返しておいた。確かに周囲に負けないように競って輝き瞬く星達は綺麗だ。そう見上げていると、指先に何かがそっと触れる。それからぎゅっと手を握られたので、驚いたようにアイツを見下ろすと、アイツは何だか照れくさそうに笑った。アイツの手はこんな時間に外に出ていたもんだからすっかり冷え切っている。ああ、綺麗だな。アイツの手が少しでも温まればいいなと俺も握り返した
「すごーい!雪だよ、雪!」
睦月、アイツは一面銀色に染まった世界を目の前にしてそう言った。アイツは面白そうに誰も歩いていない雪の上を歩き、自分だけの足跡をつけていく。そして急に前に倒れた。俺は驚いて、大丈夫かと声をかけながらアイツに近寄ると、アイツはむくりと顔を上げた。楽しそうに笑っている。一体何なんだと思いながら、アイツが起き上がるのを見ているとアイツは楽しそうに下を指差して言う。見て、人型。...何だそりゃ。心配して損したじゃねーか。『倒れた』んじゃなくて雪に『型をつけた』だけだった。呆れながらアイツについた雪を払ってやる。あ、アイツが小さく何かに気づいたように声を出した。何だ?そう思いながらこちらに伸びてくる手を見つめる。アイツは少し背伸びをして俺の髪を一束掴んだ。そして言う。銀時の髪と雪って同じ色してるね、と。付け加えるようにもう一言。あたしはこの色が好きだよ。雪が降ると寒いし、雪自体は冷たいけれど、本当は温かいものなのかもしれない
「やっぱり地面に足をつけていると落ち着くね」
如月、アイツは登っていた木から軽く飛び降りて地面に足をつけてからそう言った。あ、でも固いからちょっと痛いなと飛び降りた際の衝撃に目を滲ませる。もう少し地面との距離を考えてから飛び降りろ、俺はアイツにそう忠告する。はーい、素直な返事でよろしい。じゃあ今度から銀時に受け止めてもらうようにしまーす。...オイオイ、何だそりゃ。何で俺なんだよと言えば、そうすればあたしの足が痛くならずに済むでしょうとさらりと言った。この自己中が、俺に何かあったらどうすんだよと返せば、あたしが責任をとって銀時の妻になります、だとよ。よくそんな恥ずかしい台詞を素面で言えるもんだ。ある意味感心する。はいはい、そう流せば本気だよって。言ったな、こんにゃろう。後悔しても知らないからな。俺だってそうなればいいと思ってるんだ。アイツは約束ねと小指だけを立てる。俺も小指を差し出して指きりげんまん。幼子がやるような約束で何かダサイ。でも俺達らしいと思った
「あたし、この世界って好きよ」
弥生、アイツは真面目にそう言った。あたし達の上に広がってる空も、この安心させてくれる大地も、平等に皆を照らしてくれる太陽も。この世界に存在している花や緑、この世界から見える月も、気まぐれな雨や雪、この世界を吹きぬける風や命の源と言われる海、全部大好きだよ。だけど何より世界を愛せる理由は銀時がいるから。やっぱり真顔で言えるアイツがすごいと思う。俺はそんな台詞、口が裂けても言えねーな。残念ながら愛の言葉を紡げない俺だけど、でも今その言葉ですごく嬉しくなったから何かお返しがしたい。そう思ってその小さな身体をありったけの力で抱きしめる。これで伝わればいいなと淡い期待を抱いていたが、痛いんだけど!と怒ったように胸を押し返された。ああ悪ィ、確かに力を入れすぎた俺が悪かったと反省しながら謝ると、アイツはじとと俺を睨むように見ていたがすぐに視線が柔らかいものに変わった。ねえ、銀時。俺の名前を呼ぶ
「大好き」
そう言って微笑んだお前が今でも俺の心の中にずっと居続けてる。色褪せずに、昔と同じまま。今だって耳を澄ませばお前の声が聞こえてくるかもしれないと思ってしまうんだ。振り向けばお前がそこにいてくれるような気がしてるんだ。また名前を呼んで欲しいと願ってしまうんだ
......馬鹿みたいな話だろ?
もうお前はどこを探してもいないのに。お前がまた俺の名前を呼んでくれるわけないし、振り向いてもそこにお前がいることもない。分かってる、分かってるんだ。全部全部『過去』でしかないことを
「...」
なあ、お前から見たら今の俺はどう思う?...俺ってちゃんと
お前のように世界を愛せてるかな
お前を引き止めようとしなかった大地
お前を連れて行ってしまった空
お前を攫っていった風
お前を飲み込んでしまった海
お前を忘れてしまった緑
お前を焼け尽くしてしまった太陽
お前のことを流そうとしている雨
お前と一緒に輝く星や月
俺は正直ちゃんと愛せてる自信がねェよ。むしろ憎んでいるのかもしれない。お前が好きだと言っていたこの世界も俺にとっちゃお前を奪っていった憎むべき存在だから。唯一お前によく似合う色した桜とお前が俺の髪と一緒だから好きだと言ってくれた色をした雪だけが俺を慰めてくれる。それはアイツが本当に存在したんだということで。俺の隣でアイツが笑っていたという唯一の証拠だった
...まぁ、世界を愛するとか愛さないとかどうでもいいことか
お前がいなくなっても回り続ける冷淡な世界を愛せない代わりに俺はお前が愛した世界を全力で守るだけだ
( 世界がお前を忘れても俺は一生忘れない )