「周助、聞いて」


僕と彼女しかいないこの教室で彼女の口からこの言葉を聞いたのは何回目だろうか。きっと数え切れないくらい聞いたこの言葉は決まって彼女が英二と何かあったときだった。聞いて、と言われたら僕は必ず『いいよ』と答えるのだ。僕には断る理由がない


「いいよ。また英二と何かあったの?」
「うっ、周助って鋭い」


彼女が話しやすいようにピンポイントで話題を当ててみれば、ほらやっぱり。君は毎回驚いたような顔をして僕を見る。それから敵わないなあと軽く微笑みを零すのだ。それから嬉しいことがあれば満面の笑みになり、悲しいことがあると悲しそうな表情をする。今日は後者だった


「...英二と喧嘩しちゃったの」


ああ、またか。そう思えるのは彼女から何度も聞かされているからで。しかも喧嘩の原因はくだらないことが多いのだ。英二が彼女との約束を破ったとか、彼女が作ったお弁当に英二の嫌いなものが入ってただとか、放課後一緒に帰る約束をしていたのに英二が忘れてて先に帰っちゃったりしたこととか、彼女が英二に借りた教科書に紅茶を零してしまっただとか。本人達にとっては一大事なのかもしれないが第三者の僕からは酷くくだらなくどうでもいいことだった。でも、僕はそんな素振りは一切見せずにいつもこう尋ねる


「何が原因なの?」
「...周助に言うのも何なんだけど...」


こう尋ねればいつも彼女は答えてくれる。僕は彼女の答えを聞きながら、途中で相槌を入れたり、それは英二が悪いねとかだって気をつけなきゃとかありきたりなことを言えば良かった。それからどうしようと彼女が零すように言えば、仲直りしなよと言えばいい。謝れば大丈夫だよ、きっと許してくれる、そう言うと彼女はそうだねとほっとしたように笑うんだ


「英二がね、あたしが周助とよく喋ってるのが気に食わないって...」


でも今日は少し喧嘩の内容が違っていた。僕はいつものマニュアル通りに接すればいいと思っていたが、今日はそのマニュアルも無駄なようだ。だけど僕は動じない。元々いつか言われると思ってたんだ。やきもちやきな英二のことだから。しかも彼は感情がすぐに顔に出るから尚更だ。僕とが喋っているときは決まって英二が不機嫌そうな顔をすることに気づかないわけがないだろう


「そっか。じゃあこれからちょっと距離を置いた方がいいかもね」


僕が相変わらず淡々とした調子でそう言ったのを聞いて、彼女は少し驚いたように目を開いた。僕の口からこんな言葉が出てくるとは思わなかったのか。でも君はそう言って欲しいんだろう?そうじゃなきゃ君はどんな言葉を求めてた?

それは仕方のないことだよって君はそう言って欲しかった?


「...でも...あたし、周助と距離を置くのはやだ」


そんな僕の優しさを裏切って彼女は伏目がちにこんなことを言う。そんなこと言われたら僕だって最後の手段に出たいとか思ってしまうじゃないか。僕が最後の手段を使わないのは君の為なのに君は卑怯な手を使うんだね。そうやって僕を繋ぎとめようとするんだ


「じゃあはどうしたいの?」


意地悪な質問に彼女は悪意が込められているとは気づかずに、その質問の答えの代わりにポケットから「じゃっじゃーん」と自分で効果音を言いながら何かを取り出して僕に見せる。彼女が取り出したもの、それは遊園地のチケットだ。それも2枚ある


「それどうしたの?」
「実はね、新聞屋のおばさんがチケット2枚くれたんだ」


それから彼女は愛しそうにチケットをなぞる様に端から端まで指を滑らせる。ピンと張ったチケットが示すものは嫌でも分かった。僕は言う


「英二と仲直りするために?」
「ご名答」


そうにこやかに答える彼女はどれだけ僕に対して残酷なのだろうか。それは前から分かっていたことだけど思い知らされてしまったと同時に僕の中で大きくなってきているものに見て見ぬふりをするのは限界に近いことに気づいてしまった。今更だ、本当

こんなの今更だ


「英二、遊園地好きだから喜んでくれるよね?」
「うん、きっと喜んでくれるよ」


伊達に長い間知らないふりをしてきたわけじゃないので、こうやって笑顔の仮面をつけることは簡単だ。嬉しそうな声を出す彼女の言葉に笑顔で肯定すれば彼女も満足したように笑ってくれるだろう。いや、いつもなら「そうだよね」と返ってくるはずだった


「...そうかなあ...」


でも今日は何故かこんな言葉が返ってきた。今日はどこまで僕の予想を裏切るつもりなのだろう。喜んでくれるよね?と聞いてきたからそう答えたのに君はそう思っていないなんてあんまりじゃないか。僕はどう答えたらいい?

君は僕に一体何を期待してるんだ?


「そうだよ」


期待されたとしても僕は君の期待には応えられない。例え今どんなに君を奪いたいと思ってたとしても、僕は君を選ばないことを始まりのときに決めたんだから。別の言葉の上に嘘を重ねた声はできるだけ震えないように。はっきりと。そうしなきゃ彼女が揺らいでしまう


「...そうだよね」


少し間を空けて彼女が頷いたのを見て、僕が感じたのは何故か安心という二文字だった。そう、それでいい。英二と仲直りして、また2人で笑って。僕はどうしても君を選べないから、2人が仲良くやってるのを見ることが唯一の慰めなんだよ


「...あっ、メールだ」


鈍い音がするバイブの振動に気づいたのか、彼女はスカートのポケットから携帯を取り出し、点滅する光の色からメールだと分かったのですぐさま携帯を開く。真剣にディスプレイを見ながら指を動かす彼女はきっと受信ボックスを開く前にメールが誰からか分かったからだと後になって分かる。彼女が口にした名前は僕のじゃない


「...英二だ...」
「何てメールきたの?」


そう尋ねた僕だけど実は彼女の気まずそうな表情を見れば想像はついた。えっと、と言葉を濁しながら彼女がちらりとドアの方を横目で見たのを見逃さなかった。ああ...やっぱりそうか


「...行きなよ。英二のとこに」


君が一緒にいなきゃいけないのは僕じゃなくて英二だ。英二が待ってるというならば君は行かなきゃならない。待っている人がいるのは本当に贅沢なことで幸せなことだと思うよ


「...うん。じゃあ、行くね」


僕がそう言うと、遠慮がちに頷いた彼女は鞄を持ちながら席を立つ。それから丁寧に椅子を戻して、僕を見下ろしながら小さく微笑む


「周助、また明日ね」
「うん、また明日」


彼女は僕に背を向ける。早足でドアの方へ歩く彼女の背中を見送るのはきっとこれで最後だ。そう思うと何だかほっとしたような残念なようなよく分からないけれど心にぽっかり穴が空いたのは確かだった。僕がたった今なくしてしまったものは思った以上に今まで僕を占めていた。彼女がドアを開けるのを見てたら、そう改めて思ってしまう。だから彼女の足が止まったことが嬉しくてたまらない


「...ねえ、周助」


ドアの前で彼女は振り返りながら僕の名前を呼んでくれることも。その綺麗な瞳で僕のことを見てくれることも。本当は嬉しくて仕方ない。たとえ次に彼女が紡ぐ言葉がどれだけ残酷だったとしても、この一時だけでいい。一瞬でも満たされることを知ってるから


「...もし英二が一緒に行ってくれなかったら...遊園地一緒に行ってくれる?」


僕は笑う。君は僕を繋ぎとめようとする必要ないよ。だって僕はいつだって同じ場所にいる。この場所から進まない。僕は遠のく君をじっと見守っているからね


「何言ってるの。英二が行ってくれないわけないじゃないか」


僕が望んだ終末は1人この教室に取り残されるような孤独だった






報われない恋物語







( この名前のない物語がハッピーエンドで終わることを僕は望んでいなかった )