「貴女のことが好きです」


他の誰でもなく自分に向けられた言葉を音にする彼の声がいつまで経っても耳から離れない。初めて直接的に見た彼の瞳があまりにひたむきすぎて、あれからしばらく経った今でも思い出せば息が詰まる感覚が蘇る

あの時、確かに不安定なあたしの心はさらに大きく揺れたんだ





木曜日の放課後は決まってあたしは教室にいる。今までならサッカー部の練習を見に行っている友人達を待っているというのが理由だったが、今日は認めたくはないがその理由も上辺だけでただの口実でしかない。あまりに都合のいい理由には不安要素が大半を占め、あたしはそれに押し潰されそうになりながら自分の席に座って机に伏していた。目を閉じて静寂と共に待つ。もしあの時の言葉が嘘でないのなら今日もきっと来るだろうと根拠なくそう思っていた。人を待つときは決まってゆっくり流れる時間を今のあたしは知る術もない。ただ待ち続けるあたしの鼓動は一定だけどだんだん大きくなっていく

コツ

それはそれは小さな足音を聞き取った時、その鼓動は乱れた。だんだん近くなる足音が鼓動を早まらせる。残念ながら足音だけであの人だと分かるほど彼のことを知らないあたしだけれど、それでも何となく彼が来る、いや彼だといいなと祈る気持ちは止まらない。だんだん大きくなる一方で足音が変わったとき、自然と目を開きそうになったが我慢して意識的に目を瞑る。そうすればきっと名前を呼んでくれる。足音の主が彼だという確証が欲しい


「...さん」


ああ、やっぱり彼だ。間違うはずのない声であたしの名前を呼ばれると何だか胸が締め付けられる。そんな優しい痛みに目をそっと開けて、ゆっくり身体を起こして見上げてみればそこには彼の姿があることを予想していてたのにも関わらず衝撃を受ける。彼の名前を口にしようとすると無駄に唇を動かしにくい


「柳生君...」


見上げるあたしに小さく微笑んで、柳生君はあたしの前の席の椅子を引いて腰掛ける。その何気ない動作だけでも目を奪われたのは初めてだ。一週間前は何とも思わなかったのに、あの言葉だけであたしを変えてしまった。椅子の背にかける綺麗な手に触れてみたいと思うなんてどうかしてる


「...今日もいたんですね」


彼の唇の動きをじっと見つめている自分に気づき、慌てて目を反らしながら小さく頷く。でも今日はむしろ貴方を待ってたんだよ、だなんて口が裂けても言えるはずがない


「今日はさすがにいないかなと少し思っていましたよ」


それとも今日ここにいたということだけで気づかれているのかもしれない。同級生のあたしに対しても丁寧な言葉遣いで話す彼が考えていることはあたしにはさっぱり分からないけれど、もしかしたらなんて


「どうして?」


そんな予感を飲み込みながら、あたしは尋ねる。彼はどうして今日はあたしがいないと思ったのだろうか。その答えは聞かなくても分かっていたけれど、あえて尋ねる自分は心のどこかで嘘だったのかもしれないと疑っているのだろう。それでも変わってしまった自分を受け入れざるを得ないのに


「...そうですね、単刀直入で言えば先日私が貴女に想いを告げたから、ってとこでしょうか」


きっと答えはそうだと分かっていたのにこんなに直球に言われるとは思っていなかったあたしは驚きを隠せず俯く。彼の口から淡々と言われると、何だかたまらなく恥ずかしくなってきたと同時にさっきの予感は予感で終わらないように思えてきた。この教室中の大気が震えた気がして


「でも...貴女がここにいるということは自惚れてもいいってことですよね?」


こうやって彼はあたしの心を大きく揺さぶる。ドクン、ドクンと刻む鼓動の音は彼にも聞こえているのではないかと思うくらい大きく、あたしの身体に響き渡る。伸びてくる手に気づいたけれどそれを拒むことはあたしにできるわけがない。指先があたしの頬に触れたときからもう彼に支配されていた。柔らかに包むような優しい手に逆らえるはずもなく、あたしはその手に促されて顔を上げる

この前も思ったことだけれど、男なのに綺麗という形容詞がここまで合う人を彼以外に知らないし見たこともない。恐ろしいほどの綺麗さに息が詰まる。呼吸すら乱すなんてどこまであたしの世界に入りこんでくるのだろうか


「...それはこの前の言葉を肯定してるの?」


やっと出てきた声に疑問を乗せる。あたしの世界ばっかりが侵略されていくなんて何だか悔しかったからだ。あたしだって彼の世界をほんの一部でもいいから変えたい。あたしの世界が彼の一言で色が変わったように。そうじゃなきゃ不釣合いな気がして。あたしは肯定して欲しかった


「信じていないようですね」


彼はそう言って小さく笑った。何がおかしいのか分からない。この前の言葉を信じていないとかそんなんじゃなくて信じたいからそう聞いてみたんじゃないの。もし信じていなかったとしても信じさせてくれると期待してる自分がいることも否定できないけれど


「...好きですよ、貴女のことが」


甘い言葉は卑怯だ。言って欲しかったけれど、言って欲しくなかったかもしれない。こうやって彼はあたしの世界を揺らすんだ。その言葉だけで以前の世界と何の躊躇もなく別れを告げて、新しい世界を歓迎する。震えるのは大気、それともあたしの心?


「他の誰よりも貴女のことが好きです」


この前と同じ響きを持つ声がとても愛しい。他の誰でもなく自分に向けられた言葉が胸の真ん中を突き抜ける。柔らかな痛みに耐えるあたしは彼が眼鏡を外したのをじっと見ていた。そして、ほら。眼鏡を外した彼の瞳はもはや凶器だ。目が反らせないし、罠に掛かった兎の心境とよく似ている


「ああ、拒むなら今ですよ」


何て彼は狡いのだろうか。あたしが拒まないということを知っているくせにこんなことを言う。それにあたしが仮に拒んだとしてももっと踏み込んでくる気なのでしょう?


「......いいんですか?」


試すように聞かれた言葉に小さく頷く。自分の心をこんなに人に捧げたいと思う気持ちなんて初めてだ。このままあたしを攫ってほしい、なんてドラマや漫画、映画の世界だけだと思っていたけど本当に思える日が来るとは夢にも思わなかった


「好きです」


三度目を紡いだ唇が近づいてくるのを息を止めて待つ。この前触れずに終わったものが今日触れ合うならばこれが新しいあたしの世界の幕開けだ




私の心が揺れたと同時に世界までもが揺れた





( そうしてあたしの世界と貴方の世界が交わる )