朝の天気予報で今日の夜から雨が降るといっていたので、一応傘を持ってきたらお前って案外心配性だなと桃先輩に笑われた。確かに昼間は本当に夜に雨が降るのかと聞きたいくらい晴れ間が広がってたわけだが、部活が終わり部室から校門までの道をとぼとぼ歩きながら見上げた空は一雨きそうな予感を感じさせる空だったのでどうやら無駄にならずに済みそうだ。家に帰るまでに降り出すなとただの勘だけど根拠のなくそう思う。...それは別に雨が降ってほしいわけじゃなく、傘を持ってきたことに対する正当化をしたいというガキっぽい理由だった
「お疲れー!!」
そんなことを考えてると後ろからやけに明るい声がして、その直後に背中に何か衝撃が走る。誰かにぶつかられたと理解したのは少しよろめいた後だった。だがそんなことをするのは先輩しかいない、確信を持って振り向けばやっぱり。思った通りの姿がそこにあった
「何するんスか」
「だってリョーマがとぼとぼ元気なさそうに歩いてたからさ」
「......そういう先輩が元気すぎなだけでしょ」
こっちは過酷な練習を終えたばかりだ。そりゃ元気がないというか疲れたように見えてしまうのは当たり前で、俺としては先輩がこんなに元気であることの方が不思議だった。先輩は選手ではないけどテニス部でマネージャーをしている。選手のようにトレーニングをしているわけではないが、やはりマネージャーの仕事は大変だと具体的な仕事内容を知らない俺でもそう思う。テニス部のマネージャーは先輩だけしかいないためその仕事を先輩一人でやっているのだから疲れないはずはない。元気ない、と言われたのに対して元気ですねと言い返したのはそういうことを考慮してのことで、本当に悪気はなかった。言い訳だけど、先輩がまさかそんな表情をするなんて全く思ってもみなかったんだ
「......うん、あたしは元気だよ」
元気だと口で言ってるのにどうして無理に笑うのか、軽く矛盾が生じている。同じ笑うにしてもどうしていつものようにケラケラ楽しげに笑わない。......まさか、なんて予感が頭を過ぎったのは当然で。俺が思っていた以上に先程の言葉の矢先は尖っていたらしい
「せん」
「じゃあね、また明日。絶対遅刻したらダメだかんね!」
何かあったんスかと俺が聞こうとしているのが分かったのか、先輩はかわすように俺の肩を叩きながら朗らかにそう言って俺に背を向けて駆けていく。もともと足の速い先輩が校門を出たところで右に曲がって見えなくなるのはそう時間がかからなかった。......いつもそうだ、あの人は。ほのめかすような言葉で俺を期待している。その割にはこうやっていつも俺を置いていってしまうのだから、訳が分からない。行間を読めといわれてもその間がないのだから無茶な話だ。先輩は俺にどうして欲しいかはさっぱり分からないが、俺は
校門から出て、帰宅するために曲がらなきゃいけない左ではなくあえて右に曲がったのはもちろん先輩を追いかけるため。前に女の子だから送ってよという先輩のワガママを何度か聞いたので、先輩の帰路はぼんやりとだが覚えている。曖昧な記憶を信じて、尚且つ邪魔な傘をにぎりしめて走るのは言うまでもなくそれが先輩だからで俺はもう覚悟はしてるんだ。先輩が家に着くまでに追いつけたらと思うと、部活で酷使したはずの足が文句も言わずに動いてくれる。でもどこかで先輩は真っ直ぐ家に帰らないだろうと根拠なく思っていた
案の定先輩の姿を見つけたのは、先輩の帰路の途中にある小さな公園。走って乱れた呼吸を整えながら、ブランコに腰をかけて俯いている先輩にゆっくりと歩み寄る。先輩はずっと俯いていたが、俺が歩み寄る音を聞き取ったのか、ゆっくりと顔をあげた。目が合う。みるみるうちに驚きの表情に変わった
「......どうしたの?」
「先輩を追いかけて来たに決まってるじゃん」
下手な嘘はつかない、というよりつきたくない。はっきりとそう伝えたら、先輩は小さく苦笑を零した。それが『来なくても良かったのに』ではなく『やっぱり来てくれたんだね』というように見えて。当たり前ではないか。先輩を追いかけることしか道が残されていない俺が追いかけなくてどうするんだ。先輩が座っているブランコの鎖から伝わる温度はやけには冷たい
「......で、何があったんスか」
唐突な質問に先輩は少し躊躇うが、だけど本当に俺にそう聞いてほしいんでしょ?俺がそのために追いかけてきたのを先輩はすでに知っているから、そうやって無理に笑みを取り繕って見せることを俺だって知っている。それから少し表情を陰らせるのだから、俺が信じない訳無いだろう。いい加減にして欲しい
「......フラれちゃった」
そうやってあの男を想うのは。フラれた、なんて口で言いながらまだあの男のことが好きであることが明白だ。そんな悲しそうな顔をしないでよ、先輩があの男のことをどれほど好きなのか思い知らされるじゃないか。それに残念だけど俺には慰めの言葉なんて言えない。それは嘘をつけないという意味ではなく本気で言えない、そういうことだ。俺は何も言わなかった。俺が何も言えなかった理由を先輩は知ってる、知っているのにどうして
「他に好きな子がいるんだって」
俺に慰めの言葉を期待してるのか。俺は正直あの男なんてどうでもいいよ。あの男が誰を好きであろうと先輩を好きでなければいい。俺はそれでいいんだ。俺はそうあってほしいんだ。だから先輩の口から前から知ってた事実を聞いて、ほっとしたし、悲しいと思うよりも嬉しいと思った。自分に正直な自分が酷く情けなく思えたが、もう偽らないことにしたよ。こんなにも悲しい顔が似合うようになっただなんて認めたくないから
「...だからもうあの男のこと好きでいるのやめたら?」
俺がぽつりと零すように言った言葉に先輩は過剰に反応する。先輩から俺を見上げたのに気まずそうに目線を下に戻して戸惑う。そして笑った、悲しそうに。それからどこか嬉しそうに。俺はその横顔が愛しくてたまらない。誰か先輩を今すぐ抱きしめられる権利を譲って欲しい、なんて思ってみたりもして。だけど、今はダメだ。だって先輩の目に浮ぶのは涙
「...そうできたらいいのにな」
俺はあの男を想う先輩の涙を拭えない。もういっそこのまま泣いて、泣いて、あの男への気持ちを流してしまえばいいんだ。俺はそれをただ見ていることしか出来ない。けれど待つことはできるから。今からでも遅くない
「...あの男なんてやめて、俺のことを好きになれば、いいのに」
そうすれば先輩はこんなに悲しい涙を流すことはなかった。俺は先輩を泣かせたりなんか絶対しない。だって先輩のことが好きだから。それはどうしようもない、初めてほのめかした事実。でも先輩は気づいてる
「ほんと、そうだよね」
だからこうやって俺を利用するんだろ?納得したはずの顔に悲しみの涙が伝うのは矛盾しているのではないだろうか。俺はもう嫌だよ。そんな矛盾、なんかいらない
「...早く、止んでくれないと困るんスけど」
まだ降ってもいない雨に対して持っていた自分の傘を差す。この行為が無意味であることは分かっているが、せめて先輩が心の雨で濡れずに済みますようにと。本当馬鹿だ。あの男がまだ好きだと想う先輩も馬鹿だが、俺も馬鹿だ。どうしても俺の世界は先輩を中心としてしか回ってくれないし、俺の言葉の意味に気づいている先輩が悔しいけど愛しくて
耐え切れなくなってその頬に伝う涙をつい拭ってしまった
Tears Of Mermaid
人 魚 姫 の 涙
( 涙は雨と別物だから綺麗でもなんでもないんだよ )