僕が君の為に出来ること、今から思えばそんなのなかったんだね
LAST CHRISTMAS
苦しみから救ってやれる。自分がそんな大それたことをできる人間だと自惚れてはいない。そこまで立派な人間じゃない。言葉なら簡単に言えるけどそれを口先だけで軽々しく言うのは嫌だった。出来もしないことを言ったら逆に彼女を悲しませるかもしれない
だけど俺はだからと言ってただ見ているだけ、それだけで満足するほど諦めのいい人間じゃなかった
「おい、越前。今日も彼女のトコ行くのか?」
今日は祝日。今日も部活。別に今日も部活かよ、休みが欲しいとかそれに関しては何とも思っていない。ただ遅刻したらグラウンド走らされるのは勘弁してほしいけれど
コート整備を終え、部室に戻ってきた俺に最初にそんな声を書けてきたのは桃先輩。もう制服に着替え、また得意のにんまり顏で俺を出迎える。またか、そう思いながら俺は盛大なため息をついた。帽子を脱ぎ、ラケットを置きながら
「....ま、会えるかどうかは分からないッスけどね」
「は?どういう意味だよ?」
「そのままの意味。会いに行っても、会えるかどうか分からない」
昨日、あれから苦しそうにしていた彼女は医者達の手によって大分落ち着きを取り戻した。それを確認して安心した俺はとりあえず今日のところは帰ろうとしたところ、看護婦さん達が話しているのが耳に入ったのだった
「ちゃん、どうなるかしらね....」
「.....可哀想に。まだ、16でしょ...遊びたい時期なのに」
アンタ達が諦めるんじゃねえよと一瞬ぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが我慢して背を向けた
だけど、もしかしたら彼女はまだ目を覚ましていないかもしれない。マフラーを頑張って編んでた彼女は少し疲れていつもより多く睡眠をとっているかもしれない。だから俺が会いに行っても彼女が微笑んでくれるかは確実じゃない
それでも、彼女と毎日会いに行くと約束したから。...そして、俺が彼女に会いたいから
「へえ、お前も苦労してるんだな」
「別に苦労なんかしてないっスよ。じゃあ、俺行きますから」
「おう。彼女によろしく伝えてくれよな。越前よりもいい男がお前の先輩だって」
本当、桃先輩。本気で彼女作る気あるんっスか、と聞きたくなったが、「...会えたらね」と返事を返して、部室を出た
病院に着き、彼女の部屋をノックする。それに返答はなく、俺はそっとドアを開けてみた。...やはり彼女はまだ目が覚めていなかった。静かに寝息をたて、そこで眠っている。何だか少しやつれているように見えたが、とりあえず昨日みたいな苦しそうな表情をしていないことは確かだったので、ほっとしながら彼女の方に近寄り、彼女の顔に触れる。温もりが感じられたことに安堵感を抱かずにはいられなかった
彼女は俺が顔に手で触れても起きなかった。よく眠っている証拠だ。起こすべきじゃないだろうから、俺は今日のところは帰った方がいいのかもしれない。かと言って何も言わずに去ることにちょっと気が引けた。彼女は眠っているから俺がこうしてやってきたことを知らないし、俺が帰った後に起きて、俺の約束を信じて待っててくれていると自惚れるとできるわけがない
そんなことを思ってふと目をやると、ベッドのすぐ傍の棚の上にメモ帳と鉛筆が置かれてあった。昨日まで置いてあったっけと首を傾げたが、今の自分にとって役に立つことには変わりない。俺はメモを残しておこうと思ってその鉛筆を握った
何て書こう、そもそも俺あんまりこういうの書かないんだよな、鉛筆を握りながらそう思う。長々と文章を書く能力は俺には備わってないから、そっけなくても勘弁してよね。そう心の中で思いながら、俺は鉛筆を動かした。これだけで伝わればいいな、と思う。....俺の勝手だけど
『また明日会いに来るよ』
俺はそのメモを残し、彼女の病室をあとにした。コツコツと1人で廊下を歩いていると、向こうから歩いてくる看護婦さんが俺に頭を下げてくれたので、俺も帽子を取り、頭を下げる。すると看護婦さんの方から話し掛けてきた
「今日もちゃんのお見舞いに来てくれたの?」
「まあ、一応」
「ありがとね。毎日毎日大変でしょうに」
「いえ、俺が来たくて来てる訳ですから、別に大変なんかじゃありませんよ」
「そう。...ちゃんも最後にいいお友達に出会えたのね。良かったわ」
「どういう意味ですか?」
少し寂しげに笑ってみせた看護婦さんの言葉の意味は聞き返すまでもなく分かっていたけれど、それでも何故か聞き返してしまった。看護婦さんは少し躊躇いながら俺に告げる
「ちゃんの病気はもう末期で...ちゃんはもう長くないの」
「.....」
「もっと言うとね、今こうしてここに存在していることが奇跡なのよ」
頭を一発殴られたような気がして、「だから、ちゃんの残り少ない時間、一緒にいてあげてね」と言われたのに対して声を出すことが出来ず、ただ一つ頷いて俺はもう一度頭を下げ、足を動かした
......そんなの、信じられるか。信じられるもんか
そう自分に言い聞かすその反面、昨日の彼女の容態が思い出される。確かに病気を患っていることは事実だと思うことにやむを得なかった。肩で大きく息をする彼女の苦しそうな表情が頭から離れられない−−−−−だが
「....まだ、16じゃん....」
彼女の命が長くないことはとてもじゃないけど、信じたくない。彼女の病気は絶対治り、今度は病院の外で会える日が来ることを信じたい
「じゃあ、いっぱい貴方のことを聞かせて?」
そんな彼女の笑顔が見ることができなくなるのなら、このまま時間の流れが止まればいい
「.....絶対そんなの信じないから」
やりきれない思いと呟きを残し、俺は病院から離れた。これからどうしようかと思っている時に後ろから肩に手を置かれる。思わず驚きながら、おそるおそる振り返る。.....本当にどうしようかと思った
「不....不二先輩」
「やあ、越前。今、帰りかな?」
「はい」
「どうもっス。.....で、一体何っスか?」
「ん?別に何もないよ」
「何もないわけないでしょ。後輩を捕まえておいて」
「あはは、じゃあ、ちょっとした後輩とのコミュニケーションを図ろうとしたって言っとこうかな」
「....そうっスか」
病院を出たところで不二先輩に会い、そして何故か不二先輩に捕まって、こうして病院からさほど離れていない公園のベンチで腰をかけている。今年の12月というのは今にも雪が降り出しそうなくらい寒い日が多くて正直どこか温かいところにいきたかったのだが、どうにか不二先輩が奢ってくれたココアだけが寒さをしのいでくれた
飲めば内側が、缶を持つ手が温まってくるのが分かる。ココアを奢ってくれ、そして笑顔を絶やさない不二先輩に心底疑問を抱き、単刀直入に何故俺を呼び止めたのかと聞くと、不二先輩はけろっとして俺の質問をかわす。その得体の知れない綺麗な微笑みが少し怖くなったので俺はそれ以上追及しようとせず、ココアを一口飲んだ。甘い
不二先輩は俺の隣に腰を下ろして、優雅に足を組んだ。さっきからここらへんを通る女性たちが不二先輩のことばかり見ている気もしなくはない。不二先輩は何も言わなかった。その横顔はやはり何を考えているのかさっぱり分からない
「僕の顔に何かついてる?」
「や、そういうわけじゃないんっスけど」
「そっか」
俺がじっと見ているのに気づいたのだろう、不二先輩は前を向きながらも俺にそんな質問を投げかける。俺は慌てて視線を反らした。反らした視線の先には小さな可愛らしい女の子と娘の手を引きながら一緒に歩く母親の姿がある。いや、それはどうでもいい。これで納得してくれたのかどうかは定かではないが、不二先輩は形上は納得したようだった
「.....ねえ、越前が毎日会いに行ってる女の子って彼女?」
「不二先輩までそんなこと言うんですか」
「桃が言ってたからね」
「桃先輩が言ってたのなんて真に受けないで下さい。そんなんじゃないっスよ」
「じゃあ、何で毎日会いに行くの?彼女でもないのに」
いきなり何を言い出すかと思えば、こんなことか。しかも桃先輩勝手に変なこと言いふらして...これは、不二先輩だけじゃなく他の先輩も知ってるかもしれないとみた。ったく、そんなんじゃないんだけど
彼女じゃないと否定する俺に不二先輩は聞き返す。不二先輩はやはり転んでも何も掴まず立ち上がる人ではなく、にこにこしながら思わぬところをついてくる。はあ、とため息をつき、俺は答えを返した。彼女に会いに行く理由はただ一つ
「俺がアイツに会いたいからですよ」
本当にそれだけ。俺が彼女に会いたいから。まあ、もっと言うと約束したから
俺がきっぱりそう言うと、不二先輩は満足そうに微笑んだ。だけど目はその逆のように俺には思えた。言葉にしにくいし、もしかしたら俺が勝手にそう見えたと思い込んでいるだけかも知れない。不二先輩の俺を見る目が俺を哀れんでるように感じたこと
「.....越前。これは僕の独り言だから聞き流してくれていいよ」
不二先輩はそう言って立ち上がった。伸びをして、空を見上げる。12月の空は蒼いけど、どこか寒さを感じさせる。空の蒼と雲の灰色の寒色がやけに鮮やかさを失って、刻々と季節は動くのだと感じた。不二先輩が俺の方を振り返ろうとする様子はなく、俺は不二先輩の背中を見つめる
「もし世界で一番大切な人がいなくなるとしたら、やっぱり後悔はしたくないな」
もちろんその言葉を不二先輩がどんな表情で言ってるのか分からなかった。不二先輩はそこで言葉を切ってまた繋げる
「今、自分ができることを精一杯やってあげたいと思うよ、その人の為に」
いきなり何を言い出すのか、この先輩は。何考えているのか全く読めない人だ。今、先輩が考えていることは全く分からない。だけど、黙って聞いた。....自分に関係ない話ではないから
「けど、自分に何が出来るのか、何をしてあげたらいいのか...迷うこともあるかもしれない」
そこでやっと不二先輩は俺の方を振り返った。俺を見下ろし、そしてまた口を開く。白い息と共に零れた言葉
「でも僕は迷ってる時間があれば、自分がしてあげたいことをすると思う」
風が冷たい、こんなにも。おかげで、不二先輩に奢ってもらったココアが冷めてしまった。縋ることのできる温もりがなくなり、手がだんだん冷えてくる
その冷たさに、ハッとした
「要は自分が何をできるかじゃなく、自分が何をしてあげたいかが大切なんだと思うよ。....後悔しないためには」
俺は残っている冷め切ったココアを飲み干した。空き缶を握り締め、立ち上がる。テニスバックを肩にかけ直す。不二先輩はそんな俺に試すように尋ねてきた
「何か用事があるの?」
その口調はどこか楽しげで。もしかして俺を動かすためにそう言ってくれたのかなと頭の隅で思った。いくら何でも都合が良すぎるが、不二先輩だと言われるとありえない話でもない
「....ココアどうもっス。俺、ちょっと後悔しそうなんで行って来ます」
「そう、頑張ってね」
お疲れ様です、と不二先輩に頭を下げ、足を動かす。不二先輩はただその一言だけしか言わず黙って微笑んで手を振りながら、俺を見送った。不二先輩の言葉を再度思い出すと、早足がだんだん駆け足になっていく
彼女を苦しみから救ってやりたい、だけどそのために何ができるって言われても何もできない。それでも俺にだって何か別のことならできるんじゃないか?そんな気がするだけで、何ができるか分からないけれど
とりあえず君に今会いたくなったから君に今会いに行くよ
再び病院に戻り、病室まで走って向かい、病室に着いたや否やガラッと彼女の病室のドアをいきなり開けた。あ、ノックをするのを忘れてた。今から思えば、かなりの迷惑きわまりない行動だっただろう。ノックをするのは常識、いきなり開けたら彼女がびっくりするに決まってる。もし彼女が寝ていたらそれこそ迷惑だ
しかし、彼女は起きていた。身体を起こしていて、当たり前だが突然のことで目をぱちくりさせて驚いている。だけど、すぐに彼女は笑顔を浮かべた
「もう、リョーマ。びっくりしたじゃん」
ごめんと一言そう言いながら、俺は部屋へと入っていった。彼女は元気とまではいかないが昨日に比べたら大分顔色も良く、元気そうだった。いつもおろしている黒髪を今日は二つに結んでいる。看護婦さんにやってもらったのかなと1人で勝手にそう思った
「今日も頑張って部活してきたの?」
「当たり前じゃん」
「そっか、お疲れ様ー」
鞄を置いて彼女と向き合う。そしてどこか違和感が。何かはっきりとは分からない。その違和感は微かに震える彼女の声から感じるのだろうか、それとも少し俯き加減で何かを堪えてるような表情からか、もしくは妙にいつも通りを装っているところなのか、手に白い紙を握り締めているからか
「....ねえ、どうかした?」
俺は聞いてみた。無神経な質問だったのかもしれないけれど。だけどその違和感が何か気になったから。彼女の表情からその質問はあながち的外れではないことが分かった
彼女は図星を言い当てられたような顔をし、それからぱっと顔を下に向ける。長い睫毛を伏せ、それからゆっくりと震える声でぽつりと言葉を零した
「....今日はもう会えないかと思ってたから...」
その言葉を聞いた瞬間、頭で考えるより先に身体が動いていた。成る程、これが乾先輩の言う『理屈じゃない』ってことなのか。確かに理屈ではない、これは本能ってヤツだ
「約束したじゃん」
俺は彼女の小柄の身体を抱きしめた。彼女がどんな表情をしていて、俺の行動をどう思ったかは分からない。それでも彼女の細い腕が俺の背中に回ったから、嫌ではないだろうなと自惚れた
「......ありがとう」
消え入るようなか細い声、それでも俺の耳にはちゃんと入ってきた。その証拠は俺が嬉しくなったから
これから待ち受ける未来がどんな未来かも知らずに、ただこの瞬間がいつまでも続けばいいなと思ってた
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