7:42発急行電車の3両目の前から2番目のドアの横に、いつも君が乗っていることを俺は知っている。加えて言うのならば、制服から青春学園の生徒だということも、テニスラケットを持っていることから女子テニス部だということも、携帯のストラップはプーサンだということも
だけど、どんな風に君が笑うのか、俺は知らなくて。名前も、どんな性格なのかも、好きな食べ物も、よく見るテレビ番組も、好きな芸能人も、愛読書も、趣味も、好きな男のタイプも、知らなくて。よくよく考えてみると、俺は君について知らないことが多いんだ
そんな君と俺の関係はただの『赤の他人』にしかすぎないんだ
勇 気 に 乾 杯
僕のじゃなくて君のだけども
部活が終わって、部室で着替えている時。ため息をつくと、お前にため息なんて似合わないなあと言ってみんなに笑われた。まあ、似合っていてもどうかと思うけど、似合わないのもどうかと思うので、とりあえずほっとけと言い放った。笑われた。そこまでため息が似合わないのか、俺
またため息をもう一つ
「はあ....」
「また『例のあのコ』のことか。喋りかけたらええやん」
「簡単に言うなよ。バカ侑士っ」
「バカな俺でも、すぐにそのコと仲良くなれる自信めっちゃあるもーん」
「クソッ!」
部活中は集中しててあんまり考えないんだけど、部活が終わる途端にやるせない気持ちになってため息をついてしまう今日この頃。ため息をつくと幸せが逃げるらしいけれど、つかずにはいられない。その原因は、言うまでもなく『例のあのコ』のことだった
最近朝の電車でよく見かける彼女。名前も知らない彼女のことを気になり始めたのもつい最近のことだった。最初見かけたときから、可愛いなと思ってて、それから少し彼女のことが気になり始めて、次の日もまた同じ時間の電車に乗ろうとしたら、彼女が乗っていて。思わず天に昇りそうな気持ちになったのを覚えている
それからだ。俺はここ最近7:42発の急行電車に乗って、学校に登校している。いつも彼女が3両目の前から2番目のドアに乗っているのに気づいた今では、3両目の前から1番目のドアに乗るようにしている。......まだ、残念ながら前から2番目のドアに乗る勇気はない
だけど、その少し離れた場所から彼女を見るのが今の自分にとって丁度良かった。朝のラッシュの時間帯の電車だけど比較的空いていて彼女の姿を目で捉えることが出来るし、一目見ればそれで朝の始まりとしては文句なかった。彼女は青春学園のコなので、俺より二つほど前の駅で降りる。彼女がドアから出るときの前を真っ直ぐに向くその横顔を見るのが何よりも好きで
......行き過ぎたらストーカーにもなりかねないってことは、自分でも自覚してる。だけど、話し掛けるなんて、とてもじゃないけど俺のチキンハートでは無理で。や、人見知りはしないし、初対面の人にでもガンガン鬱陶しいくらい話し掛けにいくタイプだよ、普段は
だけど、彼女に対して持っている感情が、他の人と違っているような気がするから、できなくて
『赤の他人』から前に踏み出すことができない
「岳人お前ヘタレやなあ」
「 そ れ は 自 覚 し て る 」
「......えらい素直に言うやんけ。俺、今地雷踏んだ感じやん」
「おい、忍足。岳人いじめるのもそれくらいにしとけよ」
「ガックン、アメいるー?」
「.....そういや、お前の好きな女って青学女子テニス部って言ったよな?」
「オイ、跡部!さらりと口にするんじゃねえよ!」
ちくしょー、悔しいけど分かってるんだよ。自分がヘタレだってこと。ぶっちゃけ侑士や跡部にみたいにそんなケイケンねえし、女慣れしてねえし、俺ってばチキンハートなんだよっ!威張ることじゃねえけど。格好悪いけど。あの子に話し掛ける勇気なんて持ち合わせてねえんだよ。それが一番分かっているのは、自分に決まってるじゃんかよう!
きっと今の俺はしょんぼりとしているんだろう。だからか、宍戸が俺の頭を撫でながら侑士に一言言ってくれたり、ジローが気を使ってアメを俺に差し出してくれるんだ。ああ、何ていいヤツなんだ、俺の部活仲間
そんな感動に浸っていると、突然跡部がさらりと口にした。...好きな女、って。好きな女って。好きな女って...!まだそこまではっきりと言えるか自分でもまだよく分からないのに....訂正、まだそんな勇気がないっていうのに
そんな単語を聞いて顔が熱くなる。そういうのに慣れてないということがバレてるのは承知で、俺は少し声のトーンをでかくして跡部に言い返した。跡部はにやりと不敵に微笑む
「確か、今日女テニの方は合同練習だったよな。...青学女子テニス部と」
♭
「おい、押すなって」
「ってか、青学ってえらい可愛いコ多いなあ」
「で、ガックンの好きなコはどのコー?」
「だから、お前もそんな単語さらりと口にするんじゃねえよっ」
跡部からの情報。今日氷帝女子テニス部は青学女子テニス部と合同練習だったらしい。ということは、『例のあのコ』も氷帝に来てるかもしれなくて。今日一日、朝以外でもまた一目見れるかもしれないと思うとすごく嬉しくなって。期待に満たされる自分がいた。だけど、もう少し周りを見た方がいいかもしれねえ。何つーの、客観的に見る力っていうか
『おっしゃ、岳人の好きなコ見に行くで!』
『そうだな、一目見ておくか』
『俺も行く行くーっ』
『ぅおいっ、ちょっと待ていぃっ!お前ら!』
俺が期待に胸を膨らませている一方、口元を上げて気持ち悪いくらい笑っている部活仲間がいたことに気づかなかった自分に心底腹が立つ。くそー、そうだよな。そうだよな。こいつら、根は優しいけどこういうヤツらだったよな
.....ということで、もう薄暗くなっているにもかかわらず練習している女子テニス部を木の陰から見学。はたから見たら怪しいこと極まりない。一歩下手すりゃおそらく捕まるであろう
「うわ、あのコとかかなり可愛いやん!」
「侑士....」
「え、どのコどのコー?」
「ジローまで...」
「へー、結構可愛いじゃん」
「宍戸もかよ...」
ダブルスパートナーである男の発言にため息をつき、身長も同じくらいで親近感がある部活仲間の発言に切なさを覚える。『例のあのコ』の姿を見るためじゃなくて、女に集る変態な男集団じゃねえか。まあ、『例のあのコ』を他の男に気に入られても困るけどなっ
なんて、思いきや、また部活仲間のこの発言。俺は正直『例のあのコ』以外の女に興味はなかったけれど、この3人に『可愛い』と言わせる女はどんな女なのかと少し気になって、コイツらが向けている視線と同じ方へ目をやった
........あ
「.....もしかして、あのコが岳人の言う『例のあのコ』かよ?」
俺の顔を見て、宍戸がそう言う。.....あのコだった。見間違えるはずはない。時間帯はどうだろうと朝ずっと見てたんだ、あのコのこと
.....あのコが俺の通っている氷帝学園にいる
「おっしゃ、岳人」
「....侑士?」
朝以外にも彼女の姿を一目見ることができた喜びにしばらく浸っいたら、ぽんと肩を叩かれた。視線を動かすと、にんまりと笑った侑士の顔。...ああ、いくら鈍感な俺でも次の言葉は分かってしまうぜ
「校門で待ち伏せするで」
♭
「ちょ、ちょっとこんな場所で待ち伏せとかストーカーじゃねえか?!」
「どんな場所で待ってても結局ストーカーだよ」
確かにそれは一理あるかもしれない。.....って、納得してる場合じゃねえよ!
「おおおおい、ってか、待ち伏せって待ち伏せて何するんだよっ!?」
「岳人、少し落ち着け」
「え、そりゃ『オトモダチ』になりにいくに決まってるやん」
「む、無理っ!ぜってー、無理!」
今、俺達は校門前で女子テニス部の練習が終わるのを待っている。予想外の展開になってきた。俺はあのコを朝以外に会えたことだけで満足なのに、それなのにもっと先に進めってか?!そんな無茶な!!前に踏み出せるもんなら俺だって踏み出したいけど、けど!ただでさえチキンハートな俺なのに、いきなりなんて心の準備が出来てるはずねえだろ!.....あー、叫びすぎて疲れた
「岳人がそんなん言うてるんやったら、俺が『オトモダチ』になりにいこうかなあ」
「ぎゃー、絶対やだ!」
「俺も『オトモダチ』になりたいー」
「うおー、俺勝ち目ねえー!」
「おい、岳人!」
俺が無理って言ったら、侑士とジローがこんな怖いこと言い出した。そんなの俺に勝ち目ねえじゃんか!侑士なんか女を落とした数は星の数に等しいくらいだし、ジローも可愛らしい容姿をしてるから学年問わず人気がある。それに比べて、飛び跳ねること以外は平凡な俺.....それにヘタレを加えると話にもならねえ。自分で言ってて、悲しくなってくるけど
そんなことを思っていると、宍戸が俺の肩を掴んだ。斜め上に視線をやると、宍戸が顎で「ほら」と俺に後ろを向けと促す。俺は、振り返った
−−−−−−−......彼女がこっちにやってきている。友達と楽しそうに喋りながら、校門に向かって、すなわち俺らの方に向かって歩いてくる
「ほら、行かんかい」
「ちょ、ちょっと待てって。まだ心の準備が」
「......激ダサ」
侑士が俺の背中を押してくるので、小声で待ったをかける。隣でボソっと宍戸が呟いたのが、耳に入ったけど......わー、やっぱり俺ってチキンハート。心臓はありえないくらいバクバクいってるし、手は変な汗をかいている。顔は引きつってるんだろうし...かろうじて平仮名と漢字発音出来ているって感じだ
「ね、ガックン。あのコ、こっちの方見てるよ」
ジローがそう言って、俺の制服を引っ張る。そのジローの言葉に俺は再度恐る恐る振り向いた。大分彼女が近づいてきている。もう夜が始まりそうな時間帯だけど、金持ちの氷帝の校門前はライト完備だから、あまり薄暗さは関係なかった。はっきりと彼女の顔が見える
目が合った
.....ような気がした。驚いたように目を開き、大きな瞳を瞬かせている。そして、恥ずかしそうに、隣にいる友達に隠れるように目を反らす。そして、その場に友達らと立ち止まり、キャーキャー言っている。頬が少し紅潮しているのは、はたして運動した後だからだろうか
......これはもしかして
「あのコって、お前らの中の誰かのファンだったのか!?」
「「「はあ?」」」
絶対そうだ!そうに決まってる!うわ、やべ、かんなりヘコむんだけど!
「知らねえよ、んなもん。勝手に決め付けんなよ」
「そうだよ、ガックン。ガックンかもしれないよ?」
「それに跡部ならともかく、そこまで有名ちゃうよ、俺ら」
「いーや!お前らはお前らのカッコ良さ分かってねえな!」
「.......分かってないのは岳人やと思う人挙手ー」
「はーい」
「はーい」
「お前らー!ちくしょー!カッコ良すぎる仲間を持った俺って不運だぜ!」
そんな俺を目の前にして、部活仲間は肩を竦めて目を合わせた−−−分かってる。本当は違うんだ。不運なんかじゃない。ただ、俺が情けなくて格好悪いだけなんだ
前に踏み出したくても、足が震えてできないし、立っているだけで精一杯。宍戸の言葉を借りるなら『激ダサ』な俺が、コイツらに敵うわけがない。...あのコにふさわしい男なわけがない
.....ダメだ。いつもの俺じゃないみたいだ、ネガティブワード続出だし。情けない。今本当やってらんねえくらい負け犬の面をしているんだろうなあ、俺。....こんな面、あのコに見せれるもんじゃねえ
「あの...!氷帝の正レギュラーの方たちですよね...!」
なんてことを思っていると、後ろから女の高い声が。振り向いてみると、頬を赤らめた青学の女子数人がいた。その中にはあの子もいる。目が合った気がしたけど、すぐに反らしてしまった。我ながらヘタレな男だと思いながら、横目でちらりとその女子達を見てみると、やっぱり視線の先には侑士やジロー、宍戸がいる。ほら、きた。分かってねえのはどっちだ、こんにゃろう
「そうやけど、よく分かったなあ」
「氷帝正レギュラーって私たち青学女子テニス部の中で有名ですからっ」
「あ、あの一緒に写真とってもらってもいいですか?」
「いいよー、俺で良ければ」
「きゃー、ありがとうございます!」
「じゃあ、俺がシャッター押してやるよ」
「あ、シャッター押し終わったら私のカメラに一緒に写ってもらってもいいですか?!」
「ああ...うん」
ヤバイ。ついていけないし、すごく疎外感を感じるのはきっと気のせいじゃない。......俺は用無しだよな。この状況、正直キツイし、俺あそこの曲がり角でコイツら待っておくことにしようか。.......あのコがあの輪の中にいるっていう事実もキツイしな
今日はとことんテンション低い俺は、そっと侑士達から離れ、帰ろうとした。へ、どうせ存在感薄いか気づいてないだろうけどな、みんな。.....チクショー!とことんグレてやるー!!
「あ、あの!」
ほら、また話し掛けられてやがる。あー、いいよなあー。モテるヤツは。...いや、別に自分がモテたいと思ったことはねえけど。けどモテるヤツは決まってカッコイイからなあ。そーいや、この前の大会の時も俺がトイレ行って戻って来た時、すごい人だかりが出来てたよな。俺以外のテニス部って悔しいけどモテるヤツ多すぎじゃん。跡部に至っては、本当に怖いくらい凄かったからな
「えと、あのー!」
ったく、呼んでるのに反応してやれよ、お前ら。モテるからってシカトするなんて最低だぞ。他の女で相手が忙しいってか?...や、これは俺が勝手に言っただけです。ごめんなさい
「もう帰られるんですか?...むむむむ向日さん!」
「え?」
って、呼んでたのは俺かよ。申し訳ない、人のせいにして
かなりドモってたけど、名前を呼ばれたら確実に俺だよな。そう思い、振り返る。素っ頓狂な声を出してしまったのはご愛嬌で許してやって。だって、かなりびっくりしたし。俺を呼ぶのは......一体誰?
「......す、すみません!呼び止めてしまって...!」
........これは夢だろうか。俺は今さっきジローみたいにそこで寝てしまっているのだろうか。どうして、俺を呼んだのが『例のあのコ』なんだろう。少し俯きながら、固まっている『例のあのコ』がいるなんて.....信じていいのか
「すみません。名乗りもせずに、え、えとあたしっていいます。青学の2年です」
俺は立ち止まる。彼女は俺から2・3歩くらい離れた位置にいた。ぺこりと頭を下げて、遠慮がちに頭をまた上げる。........そうか、彼女の名前は。うん、可愛らしい名前。や、可愛らしいのは名前だけじゃなく本人もすごく可愛らしいんだけど。恥ずかしそうに照れ笑いしてるよ、ヤバイくらい可愛いと思ってしまうんだけど
「えと、えと、電車でいつも向日さんのこと見かけるんですけど、で、すごく気になってたんですけど....あー、すみません。あたし、何言ってるのか分からなくなってきちゃいました」
テンパる彼女が可愛いと思うのと同時に、嬉しさがこみ上げる。...彼女も気づいてくれてたんだ。俺のことを気にしてくれてたんだ。ヤベ、さっきからヤバイ連発だけど、ヤバイくらいに嬉しい。うわあ、俺今絶対に顔がにやけてるんだろうな。顔が熱いから、きっと顔を赤くしてるんだろうな
「と、とにかく言いたいのはですね!向日さんと仲良くしていただきたいということでして...ももし宜しければメルアド交換してくれませんか!?」
彼女の顔はおそらく今の俺と同じくらい赤くて、その二重でぱっちりとした瞳は俺を真っ直ぐに見つめている。......これ、本当に現実って信じていいよな?夢なんかじゃないよな?
...それを確かめるには、一歩前に進むしか方法はない。今まで前に踏み出せなかった一歩も今なら踏み出せる気がする
「も、もちろん!」
一歩進んで、彼女のメルアドを聞いて、『赤の他人』を脱出するんだ
前に踏み出せない俺の手を引いてくれた君の勇気に感謝